今、中国では反日デモの真っ盛り。もうほっとくしかない。中国ではデモは禁止されていると聞く。だが、抗日運動の一環の出来事は政府も目をつぶる。胡錦濤の愛国政策をうけた世代が今の大学生で彼らは就職難も相まって矛先を日本に向ける。どうも納得がいかない。サッカーアジア選手権の行儀の悪さを思い出す。
もう日本は中国から撤退だ。なんでここまで中国に依存するのか?賃金が安いということだけではないであろうがあまりにも経済面も含め中国依存度の高さは否めない。安い労働力、土地などを考慮すれば、フィリピン・ベトナム進出をもっと積極的にやる必要がある。思想が違う方々とビジネスを行うのはもう無理がある。わがまま相手の思う壺である。ぜ〜んぶぜ~んぶ撤退。他の国を捜しなさい。
僕は25年ほど前初めて中国を訪れたことがある。それはさだまさしの中国ツアーの一員として(ギタリスト)だ。レギュラーのギタープレイヤーが病に倒れ急遽招集された。まっ、初めての中国、行く前は楽しみが強かったが2週間もいるとももうもう飽きてしまう。しかもほとんどが今話題の四川省成都でのコンサートツアーだ。成都には上海から揚子江上を飛行機で向かった。これは中々良い眺めであった。
その当時は内陸の中国に出かける日本人は殆どいなかった。だから、彼らにしてみればよくぞここまで来てくれたと歓迎歓迎の嵐。猿の脳みそまで料理に出た。ゲゲッだ。
成都は魏呉蜀の時代のどこの国だかは忘れたが都であった。現在も成都の周りは歴史的な史跡が点在する。ツアーの合間を縫って史跡巡りもした。揚子江の崖に掘られた大仏に行ったり、峨眉山という聖地にいったり、杜甫の晩年過ごした庵(杜甫聖堂)にも言った。また、この成都は中国全土から漢方薬が集まる。街を歩くと漢方薬屋が軒を並べる。えっこんなもんまで薬なの?というくらいゲテモノ状態だった。そして毎日毎日太陽が姿を見せず。東北の日本海側のイメージにも感じた。そしてここで食した本場四川料理の印象は山椒が牛耳っている料理だとも思った。
その後、上海・北京でコンサート。もう帰りたい。二度とこの国には来ないと誓ったことを思い出す。国・人間、どうも好きになれない。理由が無いが嫌だ。
その後、さだツアーは日本で半年間続く。最後の京都講演の時、お疲れ様会が企画された。一生で最初で最後のお茶屋さんでの舞妓さん宴会をセットしてくれた。もうもう感激、さだ様様であった。
ちょっと脱線したが、ほんと、中国は好きになれない。
もう日本は中国から撤退だ。なんでここまで中国に依存するのか?賃金が安いということだけではないであろうがあまりにも経済面も含め中国依存度の高さは否めない。安い労働力、土地などを考慮すれば、フィリピン・ベトナム進出をもっと積極的にやる必要がある。思想が違う方々とビジネスを行うのはもう無理がある。わがまま相手の思う壺である。ぜ〜んぶぜ~んぶ撤退。他の国を捜しなさい。
僕は25年ほど前初めて中国を訪れたことがある。それはさだまさしの中国ツアーの一員として(ギタリスト)だ。レギュラーのギタープレイヤーが病に倒れ急遽招集された。まっ、初めての中国、行く前は楽しみが強かったが2週間もいるとももうもう飽きてしまう。しかもほとんどが今話題の四川省成都でのコンサートツアーだ。成都には上海から揚子江上を飛行機で向かった。これは中々良い眺めであった。
その当時は内陸の中国に出かける日本人は殆どいなかった。だから、彼らにしてみればよくぞここまで来てくれたと歓迎歓迎の嵐。猿の脳みそまで料理に出た。ゲゲッだ。
成都は魏呉蜀の時代のどこの国だかは忘れたが都であった。現在も成都の周りは歴史的な史跡が点在する。ツアーの合間を縫って史跡巡りもした。揚子江の崖に掘られた大仏に行ったり、峨眉山という聖地にいったり、杜甫の晩年過ごした庵(杜甫聖堂)にも言った。また、この成都は中国全土から漢方薬が集まる。街を歩くと漢方薬屋が軒を並べる。えっこんなもんまで薬なの?というくらいゲテモノ状態だった。そして毎日毎日太陽が姿を見せず。東北の日本海側のイメージにも感じた。そしてここで食した本場四川料理の印象は山椒が牛耳っている料理だとも思った。
その後、上海・北京でコンサート。もう帰りたい。二度とこの国には来ないと誓ったことを思い出す。国・人間、どうも好きになれない。理由が無いが嫌だ。
その後、さだツアーは日本で半年間続く。最後の京都講演の時、お疲れ様会が企画された。一生で最初で最後のお茶屋さんでの舞妓さん宴会をセットしてくれた。もうもう感激、さだ様様であった。
ちょっと脱線したが、ほんと、中国は好きになれない。