Thursday, December 31, 2009

今年一番の音楽番組

久しぶりに良い音楽番組を見る。それは小田和正プロデュースのクリスマスイベント『クリスマスの約束2009』である。彼は毎年TBSでクリスマスイベントを企画している。
そして、今回は実力ミュージシャンが多数参加。彼らの代表的な作品のメロディが22分間続く。これは、現在の日本の音楽界でも希有な企画で大成功だと思う。
歌がうまいミュージシャンを小田氏は把握していた。
前半は、小田・根本 要(スターダストレビュー)・大橋卓弥(スキマスイッチ)・吉岡聖恵(いきものがかり)4人の歌い手が織りなすクリスマスソングメドレー。
これは良い。特に山下達郎のクリスマスイブのヴォーカルアレンジはグッド.小田節の後追い歌詞のアレンジ。など
テレビの前で聞き入っていた。

で、今日は31日。NHK紅白がある。あ~あ~。落胆。
毎年のNHK紅白のアホさ加減で音楽番組が終了する。バラエティ要素が中途半端。出演歌手の人選。もう勘弁してほしい。
数々のグッドコンテンツを提供するNHKで最悪のコンテンツである。
除夜の鐘 ご~~~~ん。

僕の好きなアーティスト1 ボブ・ディラン

1960代、ベンチャーズ.ビートルズといったアーティストがブームになるとエレキブームがわき起こる。でもそれは不良の始まりとか近所迷惑だとか敬遠される。エレキ=不良というレッテルの張られる時代である。
そこで登場するのがフォークブームだ。気軽にフォークギターを購入し、パフ・7つの水仙などの当たり障りの無い曲がはやった。ピーターポールアンドマリー・ブラザース4・キングストントリオだ。
また、当時ベトナム戦争があり、社会が平和運動も起きていた事も事実である。そこで登場するのがボブディラン・ジョンバエズといった反戦歌手である。
そして日本では、優等生的なフォークから不良的なフォーク(メッセージ性を前面に出した)が一部のアーティストに浸透していく。
その代表が岡林信康・吉田拓郎であろう。その特徴は、字余り的な歌詞である。メロディーもいまいちである。当時の僕は、好まなかった。
でも、泉谷しげるの春夏秋冬は良かった。
彼らのルーツとなった音楽・アーティストがボブ・ディランである。
ボブ・ディランの歌詞もやはり字余り的である。しかし、メロディライン・歌い方など、アメリカンルーツ音楽が脈々と受け継がれているのである。

そこでボブ・ディランを考えてみる。
ボブ・ディランは不思議である。
1枚のベストセラーアルバム、1曲の大ヒットもなく、40余年にわたってアルバムを出しつづけている。
ビートルズ、ローリング・ストーンズなみに誰もが名前を知っている。
そして"罠にかかった野生のリスの鳴き声" "錆ついた風変わりな楽器"と称されたあの声も多くの人が認識している。
だがボブ・ディランの音楽、存在を認識していてもディランのアルバムを買うかというとそうはならない。売れていない、聴かれていない、にもかかわらず"知られている"

その原因をさぐってみると

1.ディランは優れた作曲家であるのに、彼自身の歌だとメロディーがみえにくくなる。
よって他のアーティストがディランの曲をカヴァーすることによって美しいメロディーが認識されるのである。
ピーター、ポール&マリー "風に吹かれて"
バーズ "ミスター・タンブリン・マン"
キース・ジャレット "マイ・バック・ページズ"
エリック・クラプトン ガンズ&ローゼス "天国への扉"
ローリング・ストーンズ "ライク・ア・ローリングストーン"(今やストーンズの曲として認知されているらしい)
などなどが良い例であろう。

2."歌詞がすごい"はやめるべし。
ディランを難解にして(見当違いの神格化、崇拝化)"ディランの聴かずぎらい"を増長しているのはこれ。
ボブ・ディランを"音楽" として聴き"音楽"として語れない人たちが"歌詞がすごい"という所に逃げている。
彼のつくり出す音楽は、"リズム、メロディー、歌詞"の三位一体で聴かなければその神髄はわからない。
歌詞の内容を理解することは重要、なおかつ面白みも増すが、歌詞をサウンドとして聴いてみよう。

3.歌手としてのすごさ、かっこよさが認識されていない。
ディランは現在に至るまで驚く程多くのツアーをこなしている。これは歌手として歌いたい、歌手として
アピールしたいということに他ならない。
エルヴィス・プレスリー、ジョン・レノン、ミック・ジャガー、そしてディランも原点は"歌手"  
ディランのライヴを体験した人は歌手としての独自のスタイル、独特のパフォーマンスに気がついたはず。
ここ最近のライヴでは、ポール・サイモンと"Sound of Silence"をデュエットしたりストーンズの"BrownSugar"を歌ったりして、
歌手としての多彩さを如何なく発揮している。

以上、上の3点を意識するだけでボブ・ディランを堪能できるはずだ。

ボブ・ディランを堪能する3枚


Sunday, December 27, 2009

日曜日の楽しみ

日曜日の楽しみはというと、NHK教育の将棋番組である。
子供の頃から親父に手ほどきを受けてから今日まで続く趣味である。日曜日の朝は政治番組と将棋番組が楽しみで、将棋番組を録画して後でじっくり楽しむのである。
僕の好きな棋士は、一昔前は谷川・中原、古くは大山・加藤一二三と時代時代で好きな棋士は変わってきた。現在は羽生名人・渡辺竜王である。彼らのあっと驚く好手に唖然とさせられる。
将棋を覚えた手の頃は急戦法から覚えた。例えば、3間飛車・棒銀など。大学・社会人時代は守りの陣形(櫓・みの囲い)を作ってから、いざ戦いに入る。という戦法が主流になる。現在はというとコンピュータ解析も進み、こういった陣形を作らないまま終盤へとなだれ込むことが多くなる。早いときは80手前後で勝負がつく事がある。

将棋は完全情報開示のスタイル(トランプや麻雀のように手を隠さない)のボードゲームで、先手、後手の優劣がいまだにはっきりしていない唯一のゲームが将棋である。
チェスは先手、囲碁も先手(従って5目半とかのハンディをつける)、オセロは後手が有利であることが経験やコンピューター解析によって証明されている。
この東洋の神秘ともいうべき将棋にヨーロッパのチェスプレーヤー達が注目しているのは、こんなところにあるのかもしれない。
カスパロフ(チェスの世界チャンピョン)がディープブルー(チェスコンピューター)に負けたあたりから答えのわからない、コンピューターで解析が出来ない将棋に、彼等が魅力を感じ始めているのもうなずける気がするのである。

Saturday, December 26, 2009

ストレッチポールを購入2

前にもブログしたが、東急ハンズに特注したウレタンポールが出来上がった。金額は2500円。既製品があるならば1500円程度であろう。
でも、既製品ストレッチポールは10000円前後するので1/4の値段で出来上がった。
ウレタンポールに原宿の靴下屋で500円で購入したレッグウォーマーをかぶせる。
十分これで自宅で背骨・肩甲骨あたりをストレッチ。
本当に気持ちよい。

また、ついでに東急ハンズでホースと硬質スポンジの円筒形の代物を購入し、ゴルフ練習器具を作成。中々のできである。
これを購入するとやはり10000円以上するのである。これは全部で800円で出来た。
自宅で素振り練習には最適である。


Tuesday, December 22, 2009

高校バスケットボール全国大会

会社に行く途中、近くのマクドで120円コーヒーを購入する事がルーティーンになっている。
今日、そのマクドで背の高いジャージ組に遭遇する。年末は代々木体育館で高校バスケットボール全国大会が開催される。それで声をかけてみる。
するとやはり出場チームであった。試合前の気楽な竹下通り散歩である。その高校は和歌山県代表の初芝橋本高等学校の生徒達である。180~190cm位あるあんちゃん達としばしバスケット談義をする。

僕も中学高校とバスケットをやっていたので(総体・国体愛知県代表で出場)。その当時のビッグな選手の名前をだすが皆、知らないという。唯一知っていたのが北原という明大中野の選手である。(彼は大学のコーチをし、NHKのNBL中継の解説者でもある。)
当時、最高の選手が日本鋼管の谷口という選手で、シュートのエキスパートである。彼はどのオリンピックかは分からないが得点王に輝いている。
そして、過去現在を通して強いのは秋田、青森は変わらないというのが分かった。あの田伏を輩出した秋田能代高校はあまりにも有名である。時代が変わっても強い高校はかわらない。
彼らと話をしてとてもナイスガイであった。頑張って初戦突破を果たしてもらいたい。 

Sunday, December 20, 2009

小津エピソード

僕はオールディーズの映画はあまり見ない。その理由として、何とも言えない早口が気にかかる。感情が表に出てこないからだ。
黒沢・溝口・小津もしかりだ。でも、我慢して見るとそれを除けば素晴らしい作品群を発表している。
例えば、小津安二郎監督の映画「麥秋」殆ど茶の間のカットが延々と続く。
これに目をつけたのが山田洋次監督である。彼はこの特徴をいかし、2010年新春に、映画「麥秋」を舞台化する。
そして、脚本・演出を手がける。是非、観劇してみたい。楽しみである。

そこで小津安二郎にまつわる面白いエピソードを何個か。

其の1
意外と知られていないが、第一回監督作品は、アメリカ映画を下敷きにした時代劇『懺悔の刃』。
その後小津さんは二度と時代劇を撮っていないので、デヴュー作が最初で最後の時代劇だったのだ。
残念ながらプリントが現存しないため、シナリオ、スティールなどで雰囲気を味わってほしい。
なお、小津さんの戦前の作品はいわゆる"小津調"ではなく、コメディー、青春喜劇、サスペンス、エログロナンセンス、恋愛ドラマなどなど、バラエティーに富んでいる。
ぜひ観られるものは観てみよう。

其の2
小津組は残業ゼロ。午後3時か4時ごろからの"ミルクの時間"と呼ばれる酒盛りが始まるからである。
ちなみに小津さんの昼食は、生卵をおとした黒ビール一杯だけだった。"ミルクの時間"を楽しく過ごすにはこういった努力?が必要だったのかな。
ただし残業ゼロといっても撮影日数は他の監督作品よりも多かったはずである。酒を楽しみつつ、自分の作品には妥協せず取り組んでいく。これもひとつの小津スタイルでしょう。

其の3
小津さんは草野球狂だった。スタッフ・役者には野球の強い人を集めていた。映画作品では他の監督と競ったりするのは好まなかったが、野球になると話しがちがったらしい。笠智衆、佐田啓二といった方々は撮影、野球の両方で叱咤激励されていたのかな。なにか微笑ましいなあ。
野球好き、宴会好き、酒好き、なんか小津さんていいですよね~。 

Thursday, December 17, 2009

ストレッチポールを購入?

ストレッチポールというストレッチ器具が気に入り、ソク購入に走る。
事務所そばの原宿オッシュマンに行く。値段を見て、思ったより高い。9000円もする。躊躇。高い。
購入を控え、サイズを測り、新宿東急ハンズに向かう。そこで発泡スチロールのそれに似た物を探す。無い。
で、担当者に希望サイズを言い、あるかどうか業者に打診を頼む。明日返事が来る予定だ。もしあれば2000円ぐらいで似た物が作れそうだ。
明日の返事待ちだ。

どうもケチ根性が頭を持ち上げ、正規品の価格に疑問を持つ。このストレッチポールしかり、ゴルフのフニャフニャシャフトもどきグッズもしかり、簡単に自作できそうな物が高額なのだ。できれば安く自作路線を貫きたい。

ストレッチポールはなんとしても購入するつもりだ。気持ちよいのだ。

Tuesday, December 15, 2009

小津安二郎と溝口健二

小津、溝口といえば今でも世界中の映画人から"オズ、クロサワ、ミゾグチ"と言われる位世界的評価の高い映画監督であるが、これ程好対照だった監督もめずらしい。
小津という人は良く知られているとおり、撮影現場に臨んでは一行の科白の変更もなく役者の演技指導も自分のイメージ100%にまでとことんもっていき、美術、小道具、大道具などの変更は一切なし。カメラも自らのぞき、カメラマンの厚田雄春氏曰く”俺はカメラ番なのさ”と言われるくらい自分の思い描いていたとおりにアングルをきめる。まあさすがの小津さんも大映で”浮草”を撮る際に、あの名カメラマン宮川一夫氏と組んだ時は宮川氏のアイデアをかなりいかしたそうだが。
ところが溝口という人は、科白変更どころかシーン全体の科白を脚本家(現場に呼びつけてある)に新たにゼロから考えさせ自分では決定的なことはいわずに”あなたは脚本家でしょう。責任をもってください。”徹底的にいびる。カメラに関しても宮川氏に”もっと良いものがあるでしょう”と蜿蜒とアイデアを出させ絞り上げる。してはいけないとされている大道具の変更(すべての手順が滅茶苦茶になり撮影がとまるから)も日常茶飯事。役者の演技指導も”あなたはプロの役者です。自分で考えて下さい”といった具合。
このやりかたは僕の経験(音楽家として)でも多々あり、このタイプの監督は”漠然と納得できないものがあり、眼の前にこれこれと示されればこれのほうが良いということがわかる”というやっかいなタイプである。
しかし出来上がったものは良い場合が多いのは皮肉である。
ゴダールとトリフォーが絶賛していた”新平家物語” ”雨月物語” ”西鶴一代女”などの溝口健二の傑作はこのようにして出来上がったのである。
”新平家物語”の冒頭の長いワンカットなどは監督としての溝口健二の才なのか、カメラマンの宮川一夫の才なのか。結果よければそういうことはどうでもいいのかな。
”小津さんは自分の好みの中でしか仕事をしなかった。その上好みを自分で知り尽くしていた。だから幸福だったでしょう。しかし、溝口さんは一生自分がなにをやりたいのかわからずに、無茶苦茶に頑張った。苦しい一生だったと思います。”大島渚
残酷なまでに二人の監督人生の違いが象徴されている同業者の発言である。

Monday, December 07, 2009

NHKブラタモリからTBS仁の江戸背景

NHKブラタモリという番組がある。東京の在りし日を古地図から紐解いていくと番組である。坂好きのタモリ氏にとって坂の多い東京は好奇心をそそる場所なのであろう。

で、先週、本郷台地が舞台となった。東大周辺からスタートし不忍通りの辺り、ここは台地の谷にあたり川があった場所。昔、下町と山の手の境目であった。これは、千駄木の台地の上に住んでいる友人から聞いた話だ。
番組の〆は聖橋あたり。これは本郷台地の南端にあたる。その下は神田川が流れ、その脇はお茶の水の駅である。古地図を見ると、本郷台地はまだ神田方面に続いている。靖国通り辺りであろう。江戸の治水事業でお茶の水界隈が掘られ神田川は流れを変えた。
そこで、TBSの仁という番組である。仁が回想場面などで登場するメインの場所がある。それは崖の上である。(多分聖橋近く、東京医科歯科大学辺り)眼下に神田川が流れ、その先は江戸の町がある。もし、それが正解ならば江戸の町の先に江戸城があっても良いと思う。また、神田川は左から流れているが、本当は右から流れなくてはならない。

そして、仁の住まいとなっている橘家の屋敷は湯島樹木谷なので、湯島天神とサッカー協会界隈とすると歩いて20分位かと推測する。
また、吉原までは1時間位かかったのではないかと推測する。
NHKブラタモリのおかげで、仁というドラマの地図上の位置関係が明確になった。

Wednesday, December 02, 2009

久しぶりにライ麦畑でつかまえてThe Catcher in the Ryeを読む

大学1年以来久しぶりにライ麦畑でつかまえてThe Catcher in the Ryeを読む。

その時のそれは翻訳者は多分野崎孝であったと思う。今回は、村上春樹訳バージョンである。両者を比較するほど特徴を把握している訳ではないが、より口語的になっていると推測する。その要因はスラング訳 にある。また、君(読者)に問いかけるような訳になっている。
ホールデンのニューヨークの3日間の彷徨が、無意味・疎外感・やるせなさ、などが相まってその心境を読者に語りかける。一言で言うならば「やれやれ」ということであろう。その当時の僕の心情と合致しているのではないかと思っていた。

この本の発表は1951年、第二次大戦後、落ち着きあるアメリカがである。僕がこの本を手にしたのが高校2年(1969年頃)であった。ベトナム戦争・大学抗争など、体制に対する反駁が大手を振って闊歩していた。ほんと「やれやれ」である。
たまに学生時代に戻る為に懐かしい本を読むのも楽しい物だ。