Thursday, December 31, 2009

今年一番の音楽番組

久しぶりに良い音楽番組を見る。それは小田和正プロデュースのクリスマスイベント『クリスマスの約束2009』である。彼は毎年TBSでクリスマスイベントを企画している。
そして、今回は実力ミュージシャンが多数参加。彼らの代表的な作品のメロディが22分間続く。これは、現在の日本の音楽界でも希有な企画で大成功だと思う。
歌がうまいミュージシャンを小田氏は把握していた。
前半は、小田・根本 要(スターダストレビュー)・大橋卓弥(スキマスイッチ)・吉岡聖恵(いきものがかり)4人の歌い手が織りなすクリスマスソングメドレー。
これは良い。特に山下達郎のクリスマスイブのヴォーカルアレンジはグッド.小田節の後追い歌詞のアレンジ。など
テレビの前で聞き入っていた。

で、今日は31日。NHK紅白がある。あ~あ~。落胆。
毎年のNHK紅白のアホさ加減で音楽番組が終了する。バラエティ要素が中途半端。出演歌手の人選。もう勘弁してほしい。
数々のグッドコンテンツを提供するNHKで最悪のコンテンツである。
除夜の鐘 ご~~~~ん。

僕の好きなアーティスト1 ボブ・ディラン

1960代、ベンチャーズ.ビートルズといったアーティストがブームになるとエレキブームがわき起こる。でもそれは不良の始まりとか近所迷惑だとか敬遠される。エレキ=不良というレッテルの張られる時代である。
そこで登場するのがフォークブームだ。気軽にフォークギターを購入し、パフ・7つの水仙などの当たり障りの無い曲がはやった。ピーターポールアンドマリー・ブラザース4・キングストントリオだ。
また、当時ベトナム戦争があり、社会が平和運動も起きていた事も事実である。そこで登場するのがボブディラン・ジョンバエズといった反戦歌手である。
そして日本では、優等生的なフォークから不良的なフォーク(メッセージ性を前面に出した)が一部のアーティストに浸透していく。
その代表が岡林信康・吉田拓郎であろう。その特徴は、字余り的な歌詞である。メロディーもいまいちである。当時の僕は、好まなかった。
でも、泉谷しげるの春夏秋冬は良かった。
彼らのルーツとなった音楽・アーティストがボブ・ディランである。
ボブ・ディランの歌詞もやはり字余り的である。しかし、メロディライン・歌い方など、アメリカンルーツ音楽が脈々と受け継がれているのである。

そこでボブ・ディランを考えてみる。
ボブ・ディランは不思議である。
1枚のベストセラーアルバム、1曲の大ヒットもなく、40余年にわたってアルバムを出しつづけている。
ビートルズ、ローリング・ストーンズなみに誰もが名前を知っている。
そして"罠にかかった野生のリスの鳴き声" "錆ついた風変わりな楽器"と称されたあの声も多くの人が認識している。
だがボブ・ディランの音楽、存在を認識していてもディランのアルバムを買うかというとそうはならない。売れていない、聴かれていない、にもかかわらず"知られている"

その原因をさぐってみると

1.ディランは優れた作曲家であるのに、彼自身の歌だとメロディーがみえにくくなる。
よって他のアーティストがディランの曲をカヴァーすることによって美しいメロディーが認識されるのである。
ピーター、ポール&マリー "風に吹かれて"
バーズ "ミスター・タンブリン・マン"
キース・ジャレット "マイ・バック・ページズ"
エリック・クラプトン ガンズ&ローゼス "天国への扉"
ローリング・ストーンズ "ライク・ア・ローリングストーン"(今やストーンズの曲として認知されているらしい)
などなどが良い例であろう。

2."歌詞がすごい"はやめるべし。
ディランを難解にして(見当違いの神格化、崇拝化)"ディランの聴かずぎらい"を増長しているのはこれ。
ボブ・ディランを"音楽" として聴き"音楽"として語れない人たちが"歌詞がすごい"という所に逃げている。
彼のつくり出す音楽は、"リズム、メロディー、歌詞"の三位一体で聴かなければその神髄はわからない。
歌詞の内容を理解することは重要、なおかつ面白みも増すが、歌詞をサウンドとして聴いてみよう。

3.歌手としてのすごさ、かっこよさが認識されていない。
ディランは現在に至るまで驚く程多くのツアーをこなしている。これは歌手として歌いたい、歌手として
アピールしたいということに他ならない。
エルヴィス・プレスリー、ジョン・レノン、ミック・ジャガー、そしてディランも原点は"歌手"  
ディランのライヴを体験した人は歌手としての独自のスタイル、独特のパフォーマンスに気がついたはず。
ここ最近のライヴでは、ポール・サイモンと"Sound of Silence"をデュエットしたりストーンズの"BrownSugar"を歌ったりして、
歌手としての多彩さを如何なく発揮している。

以上、上の3点を意識するだけでボブ・ディランを堪能できるはずだ。

ボブ・ディランを堪能する3枚


Sunday, December 27, 2009

日曜日の楽しみ

日曜日の楽しみはというと、NHK教育の将棋番組である。
子供の頃から親父に手ほどきを受けてから今日まで続く趣味である。日曜日の朝は政治番組と将棋番組が楽しみで、将棋番組を録画して後でじっくり楽しむのである。
僕の好きな棋士は、一昔前は谷川・中原、古くは大山・加藤一二三と時代時代で好きな棋士は変わってきた。現在は羽生名人・渡辺竜王である。彼らのあっと驚く好手に唖然とさせられる。
将棋を覚えた手の頃は急戦法から覚えた。例えば、3間飛車・棒銀など。大学・社会人時代は守りの陣形(櫓・みの囲い)を作ってから、いざ戦いに入る。という戦法が主流になる。現在はというとコンピュータ解析も進み、こういった陣形を作らないまま終盤へとなだれ込むことが多くなる。早いときは80手前後で勝負がつく事がある。

将棋は完全情報開示のスタイル(トランプや麻雀のように手を隠さない)のボードゲームで、先手、後手の優劣がいまだにはっきりしていない唯一のゲームが将棋である。
チェスは先手、囲碁も先手(従って5目半とかのハンディをつける)、オセロは後手が有利であることが経験やコンピューター解析によって証明されている。
この東洋の神秘ともいうべき将棋にヨーロッパのチェスプレーヤー達が注目しているのは、こんなところにあるのかもしれない。
カスパロフ(チェスの世界チャンピョン)がディープブルー(チェスコンピューター)に負けたあたりから答えのわからない、コンピューターで解析が出来ない将棋に、彼等が魅力を感じ始めているのもうなずける気がするのである。

Saturday, December 26, 2009

ストレッチポールを購入2

前にもブログしたが、東急ハンズに特注したウレタンポールが出来上がった。金額は2500円。既製品があるならば1500円程度であろう。
でも、既製品ストレッチポールは10000円前後するので1/4の値段で出来上がった。
ウレタンポールに原宿の靴下屋で500円で購入したレッグウォーマーをかぶせる。
十分これで自宅で背骨・肩甲骨あたりをストレッチ。
本当に気持ちよい。

また、ついでに東急ハンズでホースと硬質スポンジの円筒形の代物を購入し、ゴルフ練習器具を作成。中々のできである。
これを購入するとやはり10000円以上するのである。これは全部で800円で出来た。
自宅で素振り練習には最適である。


Tuesday, December 22, 2009

高校バスケットボール全国大会

会社に行く途中、近くのマクドで120円コーヒーを購入する事がルーティーンになっている。
今日、そのマクドで背の高いジャージ組に遭遇する。年末は代々木体育館で高校バスケットボール全国大会が開催される。それで声をかけてみる。
するとやはり出場チームであった。試合前の気楽な竹下通り散歩である。その高校は和歌山県代表の初芝橋本高等学校の生徒達である。180~190cm位あるあんちゃん達としばしバスケット談義をする。

僕も中学高校とバスケットをやっていたので(総体・国体愛知県代表で出場)。その当時のビッグな選手の名前をだすが皆、知らないという。唯一知っていたのが北原という明大中野の選手である。(彼は大学のコーチをし、NHKのNBL中継の解説者でもある。)
当時、最高の選手が日本鋼管の谷口という選手で、シュートのエキスパートである。彼はどのオリンピックかは分からないが得点王に輝いている。
そして、過去現在を通して強いのは秋田、青森は変わらないというのが分かった。あの田伏を輩出した秋田能代高校はあまりにも有名である。時代が変わっても強い高校はかわらない。
彼らと話をしてとてもナイスガイであった。頑張って初戦突破を果たしてもらいたい。 

Sunday, December 20, 2009

小津エピソード

僕はオールディーズの映画はあまり見ない。その理由として、何とも言えない早口が気にかかる。感情が表に出てこないからだ。
黒沢・溝口・小津もしかりだ。でも、我慢して見るとそれを除けば素晴らしい作品群を発表している。
例えば、小津安二郎監督の映画「麥秋」殆ど茶の間のカットが延々と続く。
これに目をつけたのが山田洋次監督である。彼はこの特徴をいかし、2010年新春に、映画「麥秋」を舞台化する。
そして、脚本・演出を手がける。是非、観劇してみたい。楽しみである。

そこで小津安二郎にまつわる面白いエピソードを何個か。

其の1
意外と知られていないが、第一回監督作品は、アメリカ映画を下敷きにした時代劇『懺悔の刃』。
その後小津さんは二度と時代劇を撮っていないので、デヴュー作が最初で最後の時代劇だったのだ。
残念ながらプリントが現存しないため、シナリオ、スティールなどで雰囲気を味わってほしい。
なお、小津さんの戦前の作品はいわゆる"小津調"ではなく、コメディー、青春喜劇、サスペンス、エログロナンセンス、恋愛ドラマなどなど、バラエティーに富んでいる。
ぜひ観られるものは観てみよう。

其の2
小津組は残業ゼロ。午後3時か4時ごろからの"ミルクの時間"と呼ばれる酒盛りが始まるからである。
ちなみに小津さんの昼食は、生卵をおとした黒ビール一杯だけだった。"ミルクの時間"を楽しく過ごすにはこういった努力?が必要だったのかな。
ただし残業ゼロといっても撮影日数は他の監督作品よりも多かったはずである。酒を楽しみつつ、自分の作品には妥協せず取り組んでいく。これもひとつの小津スタイルでしょう。

其の3
小津さんは草野球狂だった。スタッフ・役者には野球の強い人を集めていた。映画作品では他の監督と競ったりするのは好まなかったが、野球になると話しがちがったらしい。笠智衆、佐田啓二といった方々は撮影、野球の両方で叱咤激励されていたのかな。なにか微笑ましいなあ。
野球好き、宴会好き、酒好き、なんか小津さんていいですよね~。 

Thursday, December 17, 2009

ストレッチポールを購入?

ストレッチポールというストレッチ器具が気に入り、ソク購入に走る。
事務所そばの原宿オッシュマンに行く。値段を見て、思ったより高い。9000円もする。躊躇。高い。
購入を控え、サイズを測り、新宿東急ハンズに向かう。そこで発泡スチロールのそれに似た物を探す。無い。
で、担当者に希望サイズを言い、あるかどうか業者に打診を頼む。明日返事が来る予定だ。もしあれば2000円ぐらいで似た物が作れそうだ。
明日の返事待ちだ。

どうもケチ根性が頭を持ち上げ、正規品の価格に疑問を持つ。このストレッチポールしかり、ゴルフのフニャフニャシャフトもどきグッズもしかり、簡単に自作できそうな物が高額なのだ。できれば安く自作路線を貫きたい。

ストレッチポールはなんとしても購入するつもりだ。気持ちよいのだ。

Tuesday, December 15, 2009

小津安二郎と溝口健二

小津、溝口といえば今でも世界中の映画人から"オズ、クロサワ、ミゾグチ"と言われる位世界的評価の高い映画監督であるが、これ程好対照だった監督もめずらしい。
小津という人は良く知られているとおり、撮影現場に臨んでは一行の科白の変更もなく役者の演技指導も自分のイメージ100%にまでとことんもっていき、美術、小道具、大道具などの変更は一切なし。カメラも自らのぞき、カメラマンの厚田雄春氏曰く”俺はカメラ番なのさ”と言われるくらい自分の思い描いていたとおりにアングルをきめる。まあさすがの小津さんも大映で”浮草”を撮る際に、あの名カメラマン宮川一夫氏と組んだ時は宮川氏のアイデアをかなりいかしたそうだが。
ところが溝口という人は、科白変更どころかシーン全体の科白を脚本家(現場に呼びつけてある)に新たにゼロから考えさせ自分では決定的なことはいわずに”あなたは脚本家でしょう。責任をもってください。”徹底的にいびる。カメラに関しても宮川氏に”もっと良いものがあるでしょう”と蜿蜒とアイデアを出させ絞り上げる。してはいけないとされている大道具の変更(すべての手順が滅茶苦茶になり撮影がとまるから)も日常茶飯事。役者の演技指導も”あなたはプロの役者です。自分で考えて下さい”といった具合。
このやりかたは僕の経験(音楽家として)でも多々あり、このタイプの監督は”漠然と納得できないものがあり、眼の前にこれこれと示されればこれのほうが良いということがわかる”というやっかいなタイプである。
しかし出来上がったものは良い場合が多いのは皮肉である。
ゴダールとトリフォーが絶賛していた”新平家物語” ”雨月物語” ”西鶴一代女”などの溝口健二の傑作はこのようにして出来上がったのである。
”新平家物語”の冒頭の長いワンカットなどは監督としての溝口健二の才なのか、カメラマンの宮川一夫の才なのか。結果よければそういうことはどうでもいいのかな。
”小津さんは自分の好みの中でしか仕事をしなかった。その上好みを自分で知り尽くしていた。だから幸福だったでしょう。しかし、溝口さんは一生自分がなにをやりたいのかわからずに、無茶苦茶に頑張った。苦しい一生だったと思います。”大島渚
残酷なまでに二人の監督人生の違いが象徴されている同業者の発言である。

Monday, December 07, 2009

NHKブラタモリからTBS仁の江戸背景

NHKブラタモリという番組がある。東京の在りし日を古地図から紐解いていくと番組である。坂好きのタモリ氏にとって坂の多い東京は好奇心をそそる場所なのであろう。

で、先週、本郷台地が舞台となった。東大周辺からスタートし不忍通りの辺り、ここは台地の谷にあたり川があった場所。昔、下町と山の手の境目であった。これは、千駄木の台地の上に住んでいる友人から聞いた話だ。
番組の〆は聖橋あたり。これは本郷台地の南端にあたる。その下は神田川が流れ、その脇はお茶の水の駅である。古地図を見ると、本郷台地はまだ神田方面に続いている。靖国通り辺りであろう。江戸の治水事業でお茶の水界隈が掘られ神田川は流れを変えた。
そこで、TBSの仁という番組である。仁が回想場面などで登場するメインの場所がある。それは崖の上である。(多分聖橋近く、東京医科歯科大学辺り)眼下に神田川が流れ、その先は江戸の町がある。もし、それが正解ならば江戸の町の先に江戸城があっても良いと思う。また、神田川は左から流れているが、本当は右から流れなくてはならない。

そして、仁の住まいとなっている橘家の屋敷は湯島樹木谷なので、湯島天神とサッカー協会界隈とすると歩いて20分位かと推測する。
また、吉原までは1時間位かかったのではないかと推測する。
NHKブラタモリのおかげで、仁というドラマの地図上の位置関係が明確になった。

Wednesday, December 02, 2009

久しぶりにライ麦畑でつかまえてThe Catcher in the Ryeを読む

大学1年以来久しぶりにライ麦畑でつかまえてThe Catcher in the Ryeを読む。

その時のそれは翻訳者は多分野崎孝であったと思う。今回は、村上春樹訳バージョンである。両者を比較するほど特徴を把握している訳ではないが、より口語的になっていると推測する。その要因はスラング訳 にある。また、君(読者)に問いかけるような訳になっている。
ホールデンのニューヨークの3日間の彷徨が、無意味・疎外感・やるせなさ、などが相まってその心境を読者に語りかける。一言で言うならば「やれやれ」ということであろう。その当時の僕の心情と合致しているのではないかと思っていた。

この本の発表は1951年、第二次大戦後、落ち着きあるアメリカがである。僕がこの本を手にしたのが高校2年(1969年頃)であった。ベトナム戦争・大学抗争など、体制に対する反駁が大手を振って闊歩していた。ほんと「やれやれ」である。
たまに学生時代に戻る為に懐かしい本を読むのも楽しい物だ。

Saturday, November 28, 2009

Morning Glory

今日、土曜日、NHK wonderXwonderという番組を見る。内容はオーストラリア北部に起きる気象現象についての番組だ。
それはMorning Gloryという。その気象現象は雲が何百キロにおよび太巻きお寿司のような巨大回転雲が発生するというものだ。東側は下降気流、西側は上昇気流。その上昇気流に乗ればその現象が消滅するまで延々とグライダーで飛行可能なのである。中々見事な気象現象であった。
で、こんど、TBSの世界不思議発見を見る。TBSの中で数少ない好きな番組の一つだ。なんとそこでもMorning Gloryについての番組であった。二つ続けて同じ内容の物が続くとはなんと珍しいことである。しかも、Morning Glory。

ここで本題はこうだ。
僕は、このMorning Gloryの意味を、朝立ちと思っていた。なぜかというと、昔、ジャズの新しい流れでクロスオーバー・フュージョンというジャンルが出現する。今で言うスムースジャズである。その時期のギタリストでリーリトナーというギタリストがいた。今は、歌手の杏里の旦那である。今もそうなのか分からない。そのリーリトナーの曲にMorning Gloryという曲がある。彼は、この曲の意味を朝立ちである。と言っていた。それから、Morning Gloryの意味は朝立ちと思っていた。

これは、スラングの極みであった。で実際は朝顔という意味が第一にヒットした。
今や、Morning Gloryは僕には無縁のものとなってしまった。



Sunday, November 01, 2009

黒澤明のこと

僕が30才の頃ゴルフを始める。うまくなりたい一心で練習場通いをする。当時住んでいった場所が世田谷成城学園界隈。成城台地下の野川沿いに成城グリーンプラザという250ヤードのほどの立派な練習場だ。場所柄少々お高いが平日午前中2Fは1000円で打ち放題であった。
そこに週一回の割合で黒沢監督が練習に来ていた。気さくに握手等してくれた。お会いするたびに挨拶を交わした思い出がある。


黒澤というひとは映像のプランニングと同時に、音楽のプランニングも80%ぐらいは自分で考えてしまう人だったらしい。
作品にとりかかると今度はこの音楽でいくと決め、その音楽をかけながらコンテ、演出プランをかためていく。もちろんかれは作曲家ではないので既成のレコードなりCDなりを選曲して編集したフィルムにその音楽をサイズもピッタシあわせダビングしたものを用意して"音楽打ち合わせ"に臨むのである。
そもそも音楽というものは非常に抽象的で、映画に限らずイメージを的確に伝えるのはむずかしい。
よってこの黒澤方式は監督の意図している世界観、イメージを最大限伝えるには有効なやり方である。がその反面それを見せられ、聞かされる作曲家にとってはものすごい努力をしいられることもある。
なぜなら、その映像につけられた音楽は気分で適当につけられたものではなく、映画の世界観を提示するために綿密に選ばれており、ラベル、ドヴォルザーク、ベートーベン、ブラームス、シベリウス、マーラーといった大作曲家達と対峙させられるからである。
元々、抽象的であるはずの音楽が黒澤方式で提示された時の複雑な感情ーオリジナルな音楽を創造しようとする作曲家が、過去の大作曲家のテーマを自分はなぞるしかなく、自分はほんとうに作曲家なのか、と自問自答する危険性を孕んでいる。
黒澤作品における音楽はそういった作曲家達の悪戦苦闘の結晶でできあがっているのである。

羅生門 (作曲 早坂文雄) 黒澤アイデア ラベル "ボレロ"
七人の侍 (作曲 早坂文雄) 黒澤アイデア ドヴォルザーク 交響曲"新世界 第4楽章"
赤ひげ (作曲 佐藤勝) 黒澤アイデア ベートーヴェン"喜びの歌"&ブラームス"交響曲第1番 第4楽章"
デルス・ウザーラ (作曲 イサク・シュワルツ)黒澤アイデア シベリウス 交響詩"フィンランディア"
乱 (作曲 武満徹) 黒澤アイデア マーラー 大地の歌 第6楽章"告別"

といった作品を聴いたあとで観ることをお勧めする。

追記 
用心棒 (作曲 佐藤勝)の音楽は唯一、黒澤アイデアが感じられない優れたオリジナルな音楽である。特にテーマ曲における、ズンダンダンダン、ズンダンダンダン、ズンダンダンダンという野太いリズムと"ダフダフ"なオーケストレーション(ヴィオラでチェロの音域を鳴らしたり、トランペットをトロンボーンよりも低い音域で鳴らしたりしている)の合体はすばらしい。ブラック・ユーモア的な残酷な話しにはダフダフな音色が必要とした佐藤勝氏のアイデアが映画全体の世界観を提示している。

Saturday, October 17, 2009

音楽で生業をするもの

TBSの世界不思議発見という番組を見ていた。メインテーマはビートルズ。ビートルズに関わるエピソードを問題にし番組は構成されている。
ちょうどリマスター版が日本で発売となったので、この番組にテーマに持ち上がったのであろう。

そこで、レギュラー解答人、それにゲストという構成で番組は進む。そのゲストの中にエグザイルのリーダーがいた。
まず、音楽を生業をするものとしてビートルズの簡単なトリビアはクリアしていただきたいのである。
そこで問題。ビートルズが来日したおり、人の目を盗んでメンバー(ポールとジョン)が外ホテル外にお忍びで出かけた。ポールは皇居周りの探索。ジョンは原宿オリエンタルマーケット。そこでジョンはある物を買う。後にロック至上における名盤サージャントペッパーズロンリーハーツクラブバンドというレコードを発表する。

そのジャケットに日本で買ったある物が配置されている。それは何か?というも問題である。
他の回答者は答えられなくてもエグザイルのリーダーは可能であると見ていた。し、しかし、不正解。こんなことも知らないのと目を疑った。ショックである。

それは、福助人形である。ジャケット左下に鎮座している。こんな有名なジャケット、音楽家は分からなければ行けない。
結局、日本の最近のミュージシャンはロックだとか、ラップだとか、ソウルだとか言っているが歌謡曲から脱却していないのである。海外の音楽を体のそこから血肉にしていない。上辺だけの似非ポップアーティストなのであろう。


Sunday, October 11, 2009

仁というドラマについて

TBSで見る番組は土曜日の世界不思議発見であった。新たに一つ見る番組が増えた。それはJIN-仁-というドラマである。たまたま第一回を見る。
中々面白い。着眼点が良い。俳優が良い。と久しぶりに三拍子そろった番組である。これは良い。

内容はこうだ。
幕末の江戸へタイムスリップしてしまった脳外科医・南方仁が、満足な医療器具も薬もない環境で人々の命を救っていき、その医術を通して坂本龍馬・勝海舟・緒方洪庵ら幕末の英雄たちと交流を深め、いつしか自らも歴史の渦の中に巻き込まれていくという、壮大なストーリーとなっている。
”誰一人自分を知る者がいない”という孤独な状況下で、知恵と情熱をもって患者たちを救う仁の姿は、「人を救うのは人である」ということを見る者に真っ直ぐに伝えてくれるだろう。

原作はというと漫画本ジャンプに掲載されている漫画であると知る。今時の漫画作家でここまで、重厚な作品を作れる作家がいるのかと感心する。
昔はいっぱいいたのに。常磐荘万歳である。
綾瀬はるか いいなあ。

Friday, October 09, 2009

原宿のホットドッグ

原宿の今話題のメガネ屋JINSへ眼鏡を買いにいく。老眼鏡だ。
僕の事務所から店まで10分くらい。GAP ラフォーレの交差点を渋谷方面に行った所だ。
店は、CMのおかげでけっこう客がいる。そこでお気に入りのフレームを選び視力をはかり、できるまで30分位。8000円ぐらいだった。

店に行く途中、アメリカナイズしたワゴンカーのホットドッグ屋があった。帰り道、そのホットドッグ屋のあんちゃん(黒人)
とすこし会話をする。なかなかナイスガイである。まっ、気分が乗ってきたのでそのホットドッグを買ってみた。
これが、美味しいのである。ニューヨークに行った時に食べたあの味である。
なんか、いい気分になって原宿をてくてくと駅に向かった。

Saturday, September 26, 2009

今日は伊勢湾台風が襲来した日だ。

どうも歳を重ねていくと昔のことが鮮明となってくる。アルツハイマー症候群なのか。

そこで過去の記憶で覚えていることの一つが伊勢湾台風である。1959年9月26日その台風に遭遇する。僕は1953年生まれ、この歳は幼稚園か小学校1年の時である。僕の家は名古屋北部の町にあった。台風が近づいてくると親は雨戸の上から木片で全て被い台風に備えた。台風が接近している時の思い出はない。何か一つのイベントが起ころうとして怖いとか大変だとかの感情は無く、むしろ楽しみにも似た気持ちがあった。

そして台風が去って明くる日表に出ると世の中が一変していた。町は荒廃し、樹木は倒れ、電線はぶら下がり、看板は朽ち、家は半崩壊になっていた。
お袋の叔母が名古屋の南に住んでいた。電話も無い時代、親は心配したのであろう。次の日かその明くる日かにその叔母の家に向かった。僕も付いていく。名古屋の南に熱田神宮があり、そこまで水が迫っていた。江戸時代には熱田神宮まで海があった。ちょうど江戸時代の海岸線なってしまった。そこでボートに乗り叔母の家へ。叔母の家に行くまで水は臭く、色々なものが浮いていた。中には死体もあったのではないか?叔母の家は2階建てでその屋根裏に家族全員避難していた。

 この伊勢湾台風について調べてみた。接近時の中心気圧は900ヘクトパスカルを下回り、夕刻、さほど衰えないまま紀伊半島に上陸する。
停電で情報が途絶える中、南からの暴風に乗って5メートルもの高潮が襲った。港の貯木場から流れ出た巨木が家々をつぶし、死者・不明者は名古屋市の低地を中心に5098人。伊勢湾台風の名がついたのは4日後である。阪神大震災まで、これが戦後最悪の天変地異だった。

Wednesday, September 23, 2009

白須次郎のTVドラマを見て

シルバーウィーク中にNHKで白須次郎のTVドラマがあった。白須次郎については学生時代から頭の片隅にいつも存在していた人物である。僕の分断的知識の中での彼の生き様をどのように描けるかなど期待していた番組であった、ぼくはこの番組にエクセレントを与える。

ディレクターである大友啓史氏・音楽担当の大友良英氏の才能が各シーンにちりばめられていた。各シーンというより1フレームごとにそれは魂が生きずいていた。
キャスティングも素晴らしい。放送料を払っていてよかったと思う。

僕の映像基準はこうだ。
どの場面も無駄が無い、ということ。

1フレームごとに静止画にしてみれば分かる。全てのシーンを額にいれて飾っても遜色無く芸術性が維持されている。
海外の映画・TVドラマを見るとだいたいクリアされている。しかし日本の映画・TVドラマではそうではない。99.9%成功していない。

Tuesday, September 22, 2009

手持ち無沙汰のシルバーウィーク?

降って沸いたようなシルバーウィーク、何をしたら良いか迷ってしまう。

とりあえず溜まった仕事を自宅のコンピュータで作業をする。そして、部屋の掃除、自炊の準備、洗濯、観葉植物の世話、など結構やることがあって、楽しいSWになった。
23日はゴルフの予定がSW中に連絡が入り、SWを締めくくる。

ところで、このシルバーウィーク、実は11月下旬の勤労感謝の日の前後をシルバーウィークとしていた。しかしほとんど浸透しなかった。そこで今回から、ハッピーマンデー制度により敬老の日が9月第3月曜日となったため、2009年、2015年には秋分の日(9月23日)の前々日である9月21日が祝日となり、間の9月22日が国民の休日となる。 この結果、9月20 - 23日が4連休となり、9月19日(土曜日)を含めると5連休となる。

後残り2日、スポーツクラブ・読書・ゴルフと楽しい時間を過ごすとしよう。

Friday, September 18, 2009

大相撲秋場所6日目 翔天狼 白鳳を破り初金星

翔天狼という力士を知らなかった。調べて見るとモンゴル出身で数々のモンゴル相撲の大会で優秀な成績を残している。また、白鳳とは同期入門である。白鳳はどんどん出世し、横綱になる。彼にしてみれば、悔しい思いを持っていたのではなかろうか?
やっと前頭2枚目まで上がり、横綱挑戦権を得る。

対戦内容は翔天狼の素早い出足で横綱が土俵際まで押される。横綱は満身の力でそれを堪える。翔天狼は万が一のタイミングで引きを選択。横綱はそれに耐えきれず。両手を土俵につけてしまう。久しぶりに気持ちのよい引き落としであった。

試合後のメディアインタビューで彼は、夢のようだと語っていた。今年初めての金星である。横綱があまりにも強いので中々金星が出ないのである。
初めて目にする翔天狼は、優しい顔をしている。憎たらしさ、勝負師といった感じには思わなかった。それが出世を阻む要因ではなかろうか。でも、僕はファンになった。安馬がそうであったように、がんばって出世してほしい。

Thursday, September 17, 2009

某食品メーカーのCMソング契約更新

某食品メーカーの契約更新の契約が決まった。一年更新だ。10月に契約金が入ってくる。言ってみれば印税のようなものだ。棚からぼた餅状態である。うれしい。

読者の方はご存知だと思う。CMの後(現在では15秒CMがメイン)に、カ○○ーと2秒ほど歌う箇所がある。この部分(サウンドロゴ)である。作曲当初は、まっ、それなりのギャランティーを頂く。

CMの場合、1年単位で契約交渉権を有する。しかし、音楽プロダクションの力がない場合、有耶無耶にされてします。しかし、この時のプロダクションはしっかりと契約を結んでいた。これが現在まで契約交渉権が継続しているのである。

話は戻って、作曲して10年近く使われたが、その後、そのサウンドロゴは歌い込みではなく楽器のタイプが2~3年使われた。例えば、ピコピコポン♪
しかし、上部の評判が宜しく無く、「前に戻せ」の一言であったと聞く。それが去年、作曲料が復活したのである。うれしい限りである。

また、この他に、国営放送の楽曲使用料・JASRACの楽曲使用料の分配金が年4回支払われる。有名な楽曲は無いが、それなりに分配されている。ヒットメーカーの分配金はどれほどか想像してもすごい額になると思う。うらやましい。また、某民放のニュース番組のテーマソングなどを手がけているが、このようなことは無い。せめて名前だけでも掲載してもらいたいものだ。

今日の一番は、この契約更新。

久しぶりのピットイン

仕事の打ち合わせが新宿であった。終わった時間が午後8:00。やれやれ。
 歩いて新宿駅に向かったが、大学時代アルバイトをしていたジャズクラブ「ピットイン」へ行ってみた。今日のプレイヤーはシューミーバンドというカルテットであった。

たまたま、大学時代のジャズ研の加藤君(guitar)が出演していた。ラッキーだ。15年ぶりの再会である。演奏前バカ話に花が咲く。大学は成蹊大学である。この時代のジャズ研のメンバーは殆どプロミュージシャンになった。本当にレベルが高かった。中でも一番有名人はマルサの女の作曲者である本田俊之氏である。彼は本田俊夫というジャズを語ったら右に出るものがいなかったほどの名ディスクジョッキーを父に持ち若い頃からジャクラブで演奏をしていた。石川遼状態である。

 そして、演奏が始まる。アバンギャルド。シューミーさん(vocal・piano)がリーダーである。難解不明のポエトリーリーディングっぽい歌の様なアジテイトの様な世界を醸し出している。もう少し歌詞が聞き取りやすくなったらもっと良い客とのコラボレーションが図られてあろう。その後、ボサノバっぽい曲が続く。ライブを見ると、うずうずしてくる。1年後くらいを目標にバンド活動してみたくなった。おっさんバンドだ。がんばろう。


Sepember 16th 2009

記念すべき2009年9月16日 民主党誕生 松坂復帰勝利

恥ずべき2009年9月16日  覚せい剤夫妻 釈放(妻は17日)

詳細は後日。

Tuesday, September 15, 2009

僕の好きなレコード1(Jazz篇)

僕が中学1年の時、親がステレオを買ってきた。上の蓋が開く、家具調デザインのステレオであった。そのおまけに付いていたレコード(電気屋の親父が付けてくれたのであろう)は今でも覚えている。プラターズ、坂本九&パラダイスキング(パラキン)、マイルスデイビスFOUR & MOREであった。

 プラターズはオンリーユー・煙が目に滲みるなどスタンダードな曲のレコード、パラキンはメインに坂本九・九重由美子がいて、オリジナル・スタンダードの曲を集めたものだ。ジャズ初体験の僕にとってマイルスのレコードは針を落とすや否やすぐ針をあげてしまう。そんな訳でマイルスデイビスFOUR & MOREは今でも傷が少なく今も所有している。

 このFOUR & MOREは1964年、ニューヨーク・カーネギーホールでのコンサートのライブレコーディングである。このタイトルのほかにMy Funny Valentine Miles Devis in Concertというタイトルでこの日のコンサートの全貌を知ることができる。

 この日のメンバーはマイルスデイビス(Tp)ハービーハンコック(pf)ジョージコールマン(Ts)ロンカーター(Bass)トニーウィリアムズ(Dr)トニーは当時16・7歳であった。

 この時代のJazzはビーバップ(BeBop)からモーダルなジャズへの移行期であった。みんなが手探りで次の時代のJazzを暗中模索していた。そこでマイルスのトライアルが若手メンバーの器用と相まって見事にモーダルなJazzが展開されている。しかし、今ひとつこのモーダルJazzに近づいていなかったのがジョージコールマン(Ts)である。彼がソロを取ると聞きやすいフレージングがどんどん飛び出る。素晴らしいアドリブである。しかし、マイルスは心の中では、???であったと思う。

 そして、その一週間後シカゴのジャズクラブ「プラグド・ニッケル」でジョージコールマンの代わりにウェインショーターがメンバーに入る。
その後、マイルスバンドの黄金期を迎える。そしてこのメンバー達はジャズジャイアンツとして現在もジャズを引っ張っている。
 幾度となく聞いているMy Favorite Recordである。そして、この日の演奏は本当に素晴らしいのである。一聴の価値あり。


イチロー君メジャー記録更新!

イチローがメジャー記録である8年連続200本安打の記録を更新した。彼の技術からして後数年200本以上のヒットは打つであろう。ここまでいったらピートローズの記録も塗り替えてほしい。

 200本の記録がかかったボールパークはテキサス。折しもテキサスは過去類を見ない異常気象で雨の日が続いた。メジャーリーグのシビアな日程に加えて雨。無理矢理のダブルヘッダーが行われ、2試合目でショート内野安打で達成した。イチローらしいといえばそれまでだが、気持ちよいヒットで記録達成してほしかった。と思ったのは僕だけではないであろう。

 ところで試合後のインタビューで奥さんのことを僕の相方(あいかた)は……、といっていたがその後はギャグのオチ(ぼけ・つっこみ)を持ってこないと相方(あいかた)といった以上示しがつかないのではないか。お涙ちょうだい路線のでいくならばうちのかみさんが………と、話を持っていくのが普通であろう。
 日本では、大安売りの号外がまた配られた。S・N女史以来である。イチローのメジャー記録更新はNo1候補だが日本の大安売りの号外がToday's No1だ。

Monday, September 14, 2009

偶然、茶色の山手線

僕のオフィスは原宿にある。JR原宿で下車。新宿方面ホームに茶色の山手線が到着。朝のニュースでやっていたのがその日の内に目撃できた。何ともラッキー。

僕が東京に出てきて早30年その当時でも茶色の山手線が走っていた記憶はない。覚えていることは初乗り最低切符が30円であった。子供は半額15円切り捨てて10円であった。また、その当時の銭湯料金は50円。しがない下宿時代を思い出す。

ところでこの山手線の側面は明治の板チョコの広告でカバーされている。チョコ色と茶色の山手線のコラボであろう。そこには広告代理店の姿が見え隠れする。チョコのロゴが一新し、数人のタレントを使った広告展開。それの極めつけ企画がこの茶色の山手線作戦であろう。
で、Today's No.1は茶色の山手線 presented by 明治チョコレートで決まり。