Thursday, December 31, 2009

僕の好きなアーティスト1 ボブ・ディラン

1960代、ベンチャーズ.ビートルズといったアーティストがブームになるとエレキブームがわき起こる。でもそれは不良の始まりとか近所迷惑だとか敬遠される。エレキ=不良というレッテルの張られる時代である。
そこで登場するのがフォークブームだ。気軽にフォークギターを購入し、パフ・7つの水仙などの当たり障りの無い曲がはやった。ピーターポールアンドマリー・ブラザース4・キングストントリオだ。
また、当時ベトナム戦争があり、社会が平和運動も起きていた事も事実である。そこで登場するのがボブディラン・ジョンバエズといった反戦歌手である。
そして日本では、優等生的なフォークから不良的なフォーク(メッセージ性を前面に出した)が一部のアーティストに浸透していく。
その代表が岡林信康・吉田拓郎であろう。その特徴は、字余り的な歌詞である。メロディーもいまいちである。当時の僕は、好まなかった。
でも、泉谷しげるの春夏秋冬は良かった。
彼らのルーツとなった音楽・アーティストがボブ・ディランである。
ボブ・ディランの歌詞もやはり字余り的である。しかし、メロディライン・歌い方など、アメリカンルーツ音楽が脈々と受け継がれているのである。

そこでボブ・ディランを考えてみる。
ボブ・ディランは不思議である。
1枚のベストセラーアルバム、1曲の大ヒットもなく、40余年にわたってアルバムを出しつづけている。
ビートルズ、ローリング・ストーンズなみに誰もが名前を知っている。
そして"罠にかかった野生のリスの鳴き声" "錆ついた風変わりな楽器"と称されたあの声も多くの人が認識している。
だがボブ・ディランの音楽、存在を認識していてもディランのアルバムを買うかというとそうはならない。売れていない、聴かれていない、にもかかわらず"知られている"

その原因をさぐってみると

1.ディランは優れた作曲家であるのに、彼自身の歌だとメロディーがみえにくくなる。
よって他のアーティストがディランの曲をカヴァーすることによって美しいメロディーが認識されるのである。
ピーター、ポール&マリー "風に吹かれて"
バーズ "ミスター・タンブリン・マン"
キース・ジャレット "マイ・バック・ページズ"
エリック・クラプトン ガンズ&ローゼス "天国への扉"
ローリング・ストーンズ "ライク・ア・ローリングストーン"(今やストーンズの曲として認知されているらしい)
などなどが良い例であろう。

2."歌詞がすごい"はやめるべし。
ディランを難解にして(見当違いの神格化、崇拝化)"ディランの聴かずぎらい"を増長しているのはこれ。
ボブ・ディランを"音楽" として聴き"音楽"として語れない人たちが"歌詞がすごい"という所に逃げている。
彼のつくり出す音楽は、"リズム、メロディー、歌詞"の三位一体で聴かなければその神髄はわからない。
歌詞の内容を理解することは重要、なおかつ面白みも増すが、歌詞をサウンドとして聴いてみよう。

3.歌手としてのすごさ、かっこよさが認識されていない。
ディランは現在に至るまで驚く程多くのツアーをこなしている。これは歌手として歌いたい、歌手として
アピールしたいということに他ならない。
エルヴィス・プレスリー、ジョン・レノン、ミック・ジャガー、そしてディランも原点は"歌手"  
ディランのライヴを体験した人は歌手としての独自のスタイル、独特のパフォーマンスに気がついたはず。
ここ最近のライヴでは、ポール・サイモンと"Sound of Silence"をデュエットしたりストーンズの"BrownSugar"を歌ったりして、
歌手としての多彩さを如何なく発揮している。

以上、上の3点を意識するだけでボブ・ディランを堪能できるはずだ。

ボブ・ディランを堪能する3枚