ナショナルジオグラフィックというCSチャンネルがある。通称ナショジオだ。
ナショジオが映像提供される前は、黄色い表紙のの世界的自然科学雑誌であった。今も発行されている。
そのフィールドは全世界。その専属カメラマンになることはカメラマンにとって最高の勲章である。20年前、中村さんというナショジオの専属カメラマンの人とお付き合いがあり、いかに凄いかとということ切々と話していた事を思い出す。
その番組の中でこんなコンテンツがある。「カリスマドッグトレイナー」。
わがままな犬、やんちゃな犬、など問題のある犬を名トレイナーがその問題犬をクレバーな犬に調教していく番組である。なるほどなるほどの連続である。
このトレイナーに犬を預けるとあっという間にいい子ちゃんになる。いろんなシチュエイションに於いても従順な態度をとる犬に成ってします。
ここでのテーマは誰がリーダー(飼い主)か?を犬に理解させる。という事である。
リーダー(飼い主)より前に出るな!とリーダー(飼い主と犬とを結ぶ物)を引っ張る。噛み付く動作(手で噛み付きの口を模倣)をして誰がリーダーかを認識させる。あっという間に従順になっって行く。
猫かわいがり、よしよしいい子ちゃんでは犬はわがままになっていくと教える。
で、ここで人間社会に置き換えてみる。
ドメスティックバイオレンス(DV)ということが社会問題になっている。家庭内でリーダーは誰か?という基本を今の親どもは分かっていない。彼らのリーダーは子供。猫かわいがり、よしよしいい子ちゃんである。そのリーダーが小学校で何か不都合な事が起これば、親達は「内のリーダーに何するのよ!」と無理難題を押し付ける。そのうちその子供達も自分たちがリーダーではないかと思い始め、わがままし放題のリーダーに成っていく。そして家庭内の威厳順位は子供→母親→父親という図式に成っていく。
例えば、タレントママ。自分の子供(リーダー)を無意味な習い事に通わせる。例えば、エイベックスのダンス学校、歌の教室、ゴルフ教室、と。ノータレント(無才能)の子供がそれなりに生活できる環境へと彼らは誘う。その費用を最もシモベの父親が負担する。まっこと、ナンセンスである。
僕の子供時代はどうか?
父親は絶対的リーダーであり、威厳が満ちあふれていた。母親もそのリーダーシップに従い、愛にあふれていた。子供達は完璧に親に服従(良い意味で)。リーダーを喜ばそうとそれなりに努力する。そんな子供達の努力をリーダーは見過ごす事はなかった。初めて親とキャッチボールをしたことは良く覚えている。親が子供の努力を認めてくれた瞬間である。嬉しかった。
中学に進むにつれ、親の経済事情も分かってくる。贅沢はできない。高校は絶対公立高校に進学しなければ成らない。努力をした。親の期待に応える。そして大学。ここで唯一のわがままをいう。入学金だけ援助を申し入れ東京行きを説得し、苦難の東京での大学生活のスタート。実に良い親父であった。実に良いリーダーであった。と思う。
今の親達はこの「カリスマドッグトレイナー」という番組を見なければならない。そこにあるテーマを理解し、それを現実社会に置き換えてなければならない。
家族の威厳。それは父親→母親→→→→子供でなければならない。
「カリスマドッグトレイナー」は人間家族に置き換えてみると実に奥が深い番組である。DVは無くなる。また、親の威厳を再認識する事が出来る。
ナショジオが映像提供される前は、黄色い表紙のの世界的自然科学雑誌であった。今も発行されている。
そのフィールドは全世界。その専属カメラマンになることはカメラマンにとって最高の勲章である。20年前、中村さんというナショジオの専属カメラマンの人とお付き合いがあり、いかに凄いかとということ切々と話していた事を思い出す。
その番組の中でこんなコンテンツがある。「カリスマドッグトレイナー」。
わがままな犬、やんちゃな犬、など問題のある犬を名トレイナーがその問題犬をクレバーな犬に調教していく番組である。なるほどなるほどの連続である。
このトレイナーに犬を預けるとあっという間にいい子ちゃんになる。いろんなシチュエイションに於いても従順な態度をとる犬に成ってします。
ここでのテーマは誰がリーダー(飼い主)か?を犬に理解させる。という事である。
リーダー(飼い主)より前に出るな!とリーダー(飼い主と犬とを結ぶ物)を引っ張る。噛み付く動作(手で噛み付きの口を模倣)をして誰がリーダーかを認識させる。あっという間に従順になっって行く。
猫かわいがり、よしよしいい子ちゃんでは犬はわがままになっていくと教える。
で、ここで人間社会に置き換えてみる。
ドメスティックバイオレンス(DV)ということが社会問題になっている。家庭内でリーダーは誰か?という基本を今の親どもは分かっていない。彼らのリーダーは子供。猫かわいがり、よしよしいい子ちゃんである。そのリーダーが小学校で何か不都合な事が起これば、親達は「内のリーダーに何するのよ!」と無理難題を押し付ける。そのうちその子供達も自分たちがリーダーではないかと思い始め、わがままし放題のリーダーに成っていく。そして家庭内の威厳順位は子供→母親→父親という図式に成っていく。
例えば、タレントママ。自分の子供(リーダー)を無意味な習い事に通わせる。例えば、エイベックスのダンス学校、歌の教室、ゴルフ教室、と。ノータレント(無才能)の子供がそれなりに生活できる環境へと彼らは誘う。その費用を最もシモベの父親が負担する。まっこと、ナンセンスである。
僕の子供時代はどうか?
父親は絶対的リーダーであり、威厳が満ちあふれていた。母親もそのリーダーシップに従い、愛にあふれていた。子供達は完璧に親に服従(良い意味で)。リーダーを喜ばそうとそれなりに努力する。そんな子供達の努力をリーダーは見過ごす事はなかった。初めて親とキャッチボールをしたことは良く覚えている。親が子供の努力を認めてくれた瞬間である。嬉しかった。
中学に進むにつれ、親の経済事情も分かってくる。贅沢はできない。高校は絶対公立高校に進学しなければ成らない。努力をした。親の期待に応える。そして大学。ここで唯一のわがままをいう。入学金だけ援助を申し入れ東京行きを説得し、苦難の東京での大学生活のスタート。実に良い親父であった。実に良いリーダーであった。と思う。
今の親達はこの「カリスマドッグトレイナー」という番組を見なければならない。そこにあるテーマを理解し、それを現実社会に置き換えてなければならない。
家族の威厳。それは父親→母親→→→→子供でなければならない。
「カリスマドッグトレイナー」は人間家族に置き換えてみると実に奥が深い番組である。DVは無くなる。また、親の威厳を再認識する事が出来る。